2014年 長崎くんち 踊り町と奉納お踊り

2014年の踊り町と奉納踊りをご紹介したいと思います。

今年はヤムヤムのある興善町も踊り町で本踊りを奉納予定ですので、
踊り町の目線でのご紹介も少し出来るかと思います。

今年は7ヶ町が踊り町で昨年比1ヶ町多い奉納となります。
出し物も、本踊り2ヶ町、山車が祝い船、川船、龍船の3ヶ町
に担ぎものの鯱太鼓と名物の蛇踊りと多彩な奉納踊りになります。

実は、祝い船の八幡町の奉納には今年は山伏道中、剣舞が含まれて
おり、実際は本踊り3ヶ町とも言える内容です。

具体的町名と奉納踊りの概要は以下の通りです。
掲載は諏訪神社の長坂での奉納踊りの順番となっております。

1.興善町

傘鉾・本踊〔石橋〕(ほんおどり しゃっきょう)

 

2.八幡町

傘鉾・山伏道中(やまぶしどうちゅう)・剣舞(けんぶ)・弓矢八幡祝い船(ゆみやはちまんいわいぶね)

3.万才町

傘鉾・本踊(ほんおどり)

 

4.銀屋町

傘鉾・鯱太鼓(しゃちだいこ)

 

5.五嶋町

傘鉾・龍踊(じゃおどり)

 

6.麹屋町

傘鉾・川船(かわふね)

 

7.西濵町

傘鉾・龍船(じゃぶね)

 

2013 長崎くんち 踊り町と奉納踊り

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2013/09/23

踊り町と奉納踊りのご紹介  万屋町

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万屋町は、長崎の繁華街、観光通りを挟んで、
中島川から寺町通りの一つ前の通り迄の6ブロック
の町です


名前の通り、色々なお店がひしめきあって並んでいる
商人の町とも言えます。

街づくりが始まったばかりの長崎で、今の万屋町があるところは、
町はずれでした、その為、火を使う鍛冶屋さんが
多く集まって街が形成され鍛冶屋町と言われていたそうです。。

ところが、町が発展するに従い、町はずれがも移り、鍛冶屋さんも
当時の町はずれに移ることになった様でその後に、魚屋さんや
日用品を販売する雑貨屋さんが店を構えるようになり、誰が決めた
訳でも無いのに萬屋町と言われるようになったのだそうです。
そして、1687年に正式に萬屋町に改称されたのが、現在の万屋町の
名前の由来だそうです。

写真でも分かる様に、雑多な業種の商店が所せましと建ち並ぶ現在の
町には最適な万屋町が各自治体の統廃合の際にも使用されているの
でしょう。
 
 
   
  
  

そんな繁華街の一等地に今年の奉納踊りの一番人気鯨の潮吹きの
関係道具の格納庫が有りました、いわば鯨の寝床といった感じです。

丁度私がうろついていたら、その鯨の寝床のビルの
シャッターが開いていて中が見えました。
覆いを掛けられた鯨くんがお休み中、太鼓を始め小道具類が
出番待ちといった感じでした。

こんな繁華街に7年に1度の出番の為に、多分空いたビルを
伝統の鯨の汐吹きの為に使おうと言うことにしたのでしょうが、
伝統を守ろうという街の意気込みが感じられました。

奉納踊り  鯨の汐吹き
元々、万屋と言われていた当時、河口の町だったので魚屋も
あつまっていた様で、丁度万屋街に逗留していた佐賀の呼子の
鯨引きの頭が、しきりに鯨の山車を奉納踊りにしてはと進めた
のが鯨の潮吹きの由来だそうです。
頭船、納屋、鯨で構成され、我が国の古式捕鯨の様子を表現し
ているそうで、

 

演技は、船頭船(持双船・羽差船)5隻、囃子を奏でる納屋(締太鼓2、
鉦3、大太鼓1)、鯨の順で入場、唄囃子で根曳衆が”勇み唄”を唄い、
速囃子で鯨が竜吐水で潮を吹きながら廻るのですが、その吹き出す汐で、根挽き衆と鯨がずぶ濡れになって回っているのを見てると、本当に興奮します。
 

3日目の後日(後日)には、捕まった鯨に綱がかかり、船、納屋の
屋根には雪、ひさしにはツララが下がると言った伝統の脚色も施さ
れるそうで、見ものの一つと言えます。

傘鉾
万屋町の傘鉾は、長崎刺繍の魚づくしの模様が有名な傘鉾です。
上に載っている飾りも手桶にカツオ節とお魚・乾物屋を連想させるもの
です。
万屋町と言われ始めたころ魚屋さんも集まっていた証の垂と飾りとも言えます。

下の写真が奉納踊りで回っている傘鉾。
下の写真が、その長崎刺繍の魚づくしの垂、
文政10年(1827)制作。市指定有形文化財(平成15年5月19日指定。)
下絵、原南嶺斎。繍師、縫屋幸助・塩谷熊吉。
全部で29匹、16種類の魚刺繍。
その刺繍を下の7~9枚の布に糸で止める作業をしているのだそうです。
7年に1度、9月に入るとその作業を1月掛けてやるのだそうです。

初代(縫屋幸助作)は10匹。傷み具合によって初代と次代(塩谷熊吉作)をその取り付けの時に使い分けているのだそうです。
これだけでも充分に価値のある一品です。
因みに下絵は行方不明だったそうですが、2005年イギリスのリバプール
で発見され、ロンドンのオークションに出されて所在が分かったのだそう
です
現在は、アメリカのマサチューセッツ州セイラムにあるPeabody Essex
Museumに買収され、修繕されているとのこと。
この様に長崎くんちは見かけ以上に文化的・芸術的にも評価されるべき
物が使われていると言えるのではないでしょうか?

  



奉納踊りと傘鉾の写真はネットで公開されているものを使用させて頂いて
います。
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