2014年 長崎くんち 踊り町と奉納お踊り

2014年の踊り町と奉納踊りをご紹介したいと思います。

今年はヤムヤムのある興善町も踊り町で本踊りを奉納予定ですので、
踊り町の目線でのご紹介も少し出来るかと思います。

今年は7ヶ町が踊り町で昨年比1ヶ町多い奉納となります。
出し物も、本踊り2ヶ町、山車が祝い船、川船、龍船の3ヶ町
に担ぎものの鯱太鼓と名物の蛇踊りと多彩な奉納踊りになります。

実は、祝い船の八幡町の奉納には今年は山伏道中、剣舞が含まれて
おり、実際は本踊り3ヶ町とも言える内容です。

具体的町名と奉納踊りの概要は以下の通りです。
掲載は諏訪神社の長坂での奉納踊りの順番となっております。

1.興善町

傘鉾・本踊〔石橋〕(ほんおどり しゃっきょう)

 

2.八幡町

傘鉾・山伏道中(やまぶしどうちゅう)・剣舞(けんぶ)・弓矢八幡祝い船(ゆみやはちまんいわいぶね)

3.万才町

傘鉾・本踊(ほんおどり)

 

4.銀屋町

傘鉾・鯱太鼓(しゃちだいこ)

 

5.五嶋町

傘鉾・龍踊(じゃおどり)

 

6.麹屋町

傘鉾・川船(かわふね)

 

7.西濵町

傘鉾・龍船(じゃぶね)

 

2013 長崎くんち 踊り町と奉納踊り

2013 長崎くんち
2013/10/04

2013 長崎くんち 庭見せ

Tweet ThisSend to Facebook | by コーさん
今夜の庭見せ、 栄町、紺屋町、万屋町、本石灰町、丸山町、舟大工町と
てくてく歩いて回りました。

どこにいっても込んでいました。

 
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2013/09/28

踊り町と奉納踊りのご紹介 丸山町

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丸山町は日本3大遊郭の一つとして有名な丸山が由来の町、


これが丸山無かりせば銀危うからず。と言われた長崎丸山を
描いた絵図だそうです。今はその面影も有りません。
下の写真で、一寸垣間見る程度?でしょうか?


元々、市内各所にあった遊女屋を、寛永16年に丸山(当時は山と
言われていたようです)に集めたのが、丸山遊郭の始まりと言われ
ていますが、前から遊女屋は有ったようで、寛永11年に丸山の
遊女音羽と高尾が諏訪神社で小舞を奉納したのがおくんちの
奉納踊りの原点となっているという話は有名で、その後ずっと
丸山と寄合町は毎年踊りを奉納することになっていたそうです。

現在は7年毎の踊り町で他の町と同じルールで奉納することになって、
今年が2回目とのこと。
といっても、他の踊り町の依頼で、本踊りの指導・踊り手の提供を
ずっと続けておられた訳で、実質的には毎年奉納しているようなもの
だと言うこともできるます。
芸一筋の丸山検番にとって、おくんちは切っても切れない縁のある
お祭りと言うことでしょう。

今年はその本家本元が踊り町として参加する年で、奉納される
本踊りも見ものの一つではないかと思います。

今年の6つの町の内の3つの町は隣り合わせに隣接し、丸山を要
として、今でも県下有数の歓楽街を形成している町だといえます。



有名な思案橋からは本石灰町のメインストリートを通って、又、昔は
唐人屋敷から舟大工町を通って、丸山に人が流れたのでしょうから

自然に歓楽街が形成されていったことも自然の流れではないかと
思われます。

  
丸山公園を本石灰町との接点から   交番の一つ先のT字路を左に折れると
見た写真。右手が寄合町、左手中央  丸山検番や中の茶屋・身代わりが天満
のビルが丸山交番、その後方が丸山  宮に、通じる階段あり、階段の上に料亭  
町                       青柳が有ります
 
階段と料亭青柳            身代わり天満宮 梅の時期が綺麗です
   
中の茶屋 清水昆の絵や資料が   左手に折れず、直進すると、突き当りが
の展示されています。         龍馬の刀傷で有名な料亭花月
庭園も一見価値あり。


奉納踊り  本踊り(日本舞踊)
 
 
上段2枚は昨年の奉納踊り、下段2枚は今年の出し物の練習風景

前回平成18年に、41年ぶりに踊り町として本踊りを奉納して、
7年目の今年、7年毎の奉納踊り、2回目となるとのこと。

学生時代まで毎年踊り町だったので、ビックリしました。
前回は「百夜草祭禮花笠(ももよぐさまつりのはながさ)」と言う演題
今年は趣向を新たに
「勢獅子祭祝諏訪社頭(きおいじしまつりをいわうすわのおやしろ)」
という演題で、長崎検番の芸子衆の心意気を見せると張り切って
練習を重ねておられるとのこと、前回から若手の芸子衆だけの出演
とのことで、新しいおくんちの本踊りの形を作って頂けるものと期待でき
そうです。

傘鉾
朱塗の台に「丸山町」と書いた金色の丸い額
私にとっては毎年見ていた見慣れた傘鉾です。
シンプルで印象深い飾りだと思います。

垂は3社の紋を拝した刺繍で飾られています。

                         

写真はネットで公開されているものを使用させて頂いています。
23:19 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0)
2013/09/28

踊り町と奉納踊りのご紹介  栄町

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ヤムヤムのある興善町のお隣の町で、豊後坂を眼鏡橋の方に
降りた所から眼鏡橋迄の電車通りを挟んで6ブロックの町です。



袋町、紺屋町、酒屋町の各一部が合併して昭和38年に出来た町で
すが、元の3つの町は1597年頃にできた由緒ある町で3つとも
踊り町として奉納していたのを3つ合わせて奉納するようになった
ようです。只、どうも3町一緒に奉納したのは合併の前だっと様で、
これが3町合併のきっかけになったのかもしれません?


代表的な建物は長崎女子商業高校、長崎医師会病院、長崎銀行
本店、長崎県市町村会館、賑橋パーキング等があります。
又、現在でも長崎県酒類販売があって昔の酒屋町の名残を残しています。

     


奉納踊り「阿蘭陀漫才」は、その昔、オランダ人の二人が日本に来た時に
お正月のお祝いにまわり、その途中に教会の鐘が聞こえて故郷を思い出す
というストーリーのコミカルで異国情緒豊かな日本舞踊です。

二人の阿蘭陀人は、うちわを持って青色の衣装を着ているのが萬歳(まんざい)、
太鼓を持って黄色の衣装を着ているのが才蔵(さいぞう)で、万歳・才蔵の
2人のコミカルな掛け合いが見どころの踊りです。
お囃子も色々と工夫されていて、三味線の中に胡弓が混ざったりと、
ちょっと変わっていますが、見ていて楽しくなる日本舞踊です。

振り付け指導は花柳寿女香さん。
前回好評だった「ちび万歳」「ちび才蔵」も、かわいらしい演技で
華を添えるそうです。

 

最後に傘鉾
 


上に載っている飾りは、四季模様を大和絵で書いた貝2組4枚と
くんちの季節に相応しい紅葉で飾られています。

黒のビロードの輪が印象的で垂れ幕の塩瀬羽二重金糸で編み込
んだ三社のご紋を引き立ています。


奉納踊りと傘鉾の写真はネットで公開されているものを使用させて頂いて
います。
21:47 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0)
2013/09/28

踊り町と奉納踊りのご紹介 船大工町

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舟大工町は、今年の踊り町で本石灰町と丸山町ろ隣り合わせの町で
これに寄合町を加えた4つの町が長崎県でも有数の繁華街を形成して
いると言っても過言では有りません。

カステラの老舗「福砂屋」の奥、見返り柳のブロックが
舟大工町です。



船大工・本石灰、寄合の3つの町が丸山町に接しているところからも
昔から遊郭として有名な丸山を囲むように繁華街に成っていったと
言えると思われます。

江戸時代初期には、本石灰町でも書いたように海岸線が此処まで
入りこんでいたようで、「唐人屋敷の隣町が籠町で籠細工屋さんの町で、
隣が船大工さんの町で、そのまた隣が石灰屋さんの町で、思案橋を
渡ると鍛冶屋さんの町」と永島栄一さんが紹介されていますが、
唐人屋敷に近い海岸に船を逗留させることが多く、船大工が集まって
きて町を形成したことから船大工町と言われたのが町名の由来と言える
と思われます。




そう言う背景から、奉納踊りも川船に成ったようですが、
現在
川船は7つの町(船大工町、油屋町、魚の町、
榎津町、麹屋町、東古川町、八坂町)が奉納をしていて、
毎年どこかの町の川船を見ることができます。
その中でも、一番大きくて重いのが今回の船大工町だと
聞いたことがありますが、未確認です。

 
 

傘鉾

舟大工町の奉納で特筆すべきは傘鉾かもしれません。
唯一の垂の上の輪が無い傘鉾で有名です。
檜板葺き屋根型の上に上棟式具一式が飾られています。

垂は蝦夷錦 金襴織り出し牡丹唐草地紋に五爪の龍の模様
が織り込まれています。
町名の記載があり書いたのは小曾根乾堂(けんどう)だそうで、庭見せで
じっくり見て見るのも良いかもしれません。


   

写真はネットで公開されているものを使用させて頂いています。
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2013/09/27

奉納踊り町と奉納踊りのご紹介 本石灰町

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本石灰町と書いて、”もとしっくいまち”と読みます。しっくいは石灰の
唐音読みです。

今年の踊り町の船大工町、本石灰町、丸山町はお互いに隣接している
町同士で、思案橋電停から丸山公園を目指すと、先ず通るのが、
本石灰町のメインストリートです。その両側に広がる歓楽街は長崎県内で
一番の歓楽街です。


思案橋から見た本石灰町のメインストリート。
両側が本石灰町です。


昔は、キャバレーやクラブといった高級な飲み屋が立ち並んでいたのです
が、最近はパチンコとカラオケ、居酒屋といった業種が目に付きます。
40年以上前の記憶だけを紐解けば、この通りを一本中に入ると小さな
バーが並ぶ細い迷路が今も残っているのではないかと思うのですが??
希望的観測かも?



本石灰町の奉納踊りは御朱印船、昔はこの地域まで海岸線が喰い込んで
いて、マカオの周辺から運んでいた石灰をこの町の周辺で下ろしていた
のが、石灰町の名前の由来だそうです。
当然、貿易商も沢山住んでいた様で、その中の豪商「荒木宗太郎」が
ベトナムの王女アニオーを娶って長崎港に帰ってくるという設定で、
アニオーが乗ってきた御朱印船が奉納踊りに成ったようです。


 

前は「紅葉狩り」という本踊りだったのですが、その頃にも「神山車」
(みやまぐるま)の曳(ひき)物が付いていて、昭和40年に、
アニオー行列に変わった際に、その神山車が、御朱印船に変わった
ということのようです。

奉納踊りは、まず最初に、アニオーの行列が入場して、その後に
6m、6トンの大きな御朱印船が入港し、豪快に回るという内容に
成っているようです。
6日の夜には、ベトナムのアンサンブルグループがライブで町内を
盛り上げるとか?
できれば、これにも参加したいですね!

傘鉾も御朱印船に変わった時に、町名の飾りから、朱印船の名札と
ひょうたんの飾りに変わりました。
垂の紋様もアニオー行列に変えたとのこと。
 
写真はネットで公開されているものを使用させて頂いています。
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2013/09/23

踊り町と奉納踊りのご紹介  万屋町

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万屋町は、長崎の繁華街、観光通りを挟んで、
中島川から寺町通りの一つ前の通り迄の6ブロック
の町です


名前の通り、色々なお店がひしめきあって並んでいる
商人の町とも言えます。

街づくりが始まったばかりの長崎で、今の万屋町があるところは、
町はずれでした、その為、火を使う鍛冶屋さんが
多く集まって街が形成され鍛冶屋町と言われていたそうです。。

ところが、町が発展するに従い、町はずれがも移り、鍛冶屋さんも
当時の町はずれに移ることになった様でその後に、魚屋さんや
日用品を販売する雑貨屋さんが店を構えるようになり、誰が決めた
訳でも無いのに萬屋町と言われるようになったのだそうです。
そして、1687年に正式に萬屋町に改称されたのが、現在の万屋町の
名前の由来だそうです。

写真でも分かる様に、雑多な業種の商店が所せましと建ち並ぶ現在の
町には最適な万屋町が各自治体の統廃合の際にも使用されているの
でしょう。
 
 
   
  
  

そんな繁華街の一等地に今年の奉納踊りの一番人気鯨の潮吹きの
関係道具の格納庫が有りました、いわば鯨の寝床といった感じです。

丁度私がうろついていたら、その鯨の寝床のビルの
シャッターが開いていて中が見えました。
覆いを掛けられた鯨くんがお休み中、太鼓を始め小道具類が
出番待ちといった感じでした。

こんな繁華街に7年に1度の出番の為に、多分空いたビルを
伝統の鯨の汐吹きの為に使おうと言うことにしたのでしょうが、
伝統を守ろうという街の意気込みが感じられました。

奉納踊り  鯨の汐吹き
元々、万屋と言われていた当時、河口の町だったので魚屋も
あつまっていた様で、丁度万屋街に逗留していた佐賀の呼子の
鯨引きの頭が、しきりに鯨の山車を奉納踊りにしてはと進めた
のが鯨の潮吹きの由来だそうです。
頭船、納屋、鯨で構成され、我が国の古式捕鯨の様子を表現し
ているそうで、

 

演技は、船頭船(持双船・羽差船)5隻、囃子を奏でる納屋(締太鼓2、
鉦3、大太鼓1)、鯨の順で入場、唄囃子で根曳衆が”勇み唄”を唄い、
速囃子で鯨が竜吐水で潮を吹きながら廻るのですが、その吹き出す汐で、根挽き衆と鯨がずぶ濡れになって回っているのを見てると、本当に興奮します。
 

3日目の後日(後日)には、捕まった鯨に綱がかかり、船、納屋の
屋根には雪、ひさしにはツララが下がると言った伝統の脚色も施さ
れるそうで、見ものの一つと言えます。

傘鉾
万屋町の傘鉾は、長崎刺繍の魚づくしの模様が有名な傘鉾です。
上に載っている飾りも手桶にカツオ節とお魚・乾物屋を連想させるもの
です。
万屋町と言われ始めたころ魚屋さんも集まっていた証の垂と飾りとも言えます。

下の写真が奉納踊りで回っている傘鉾。
下の写真が、その長崎刺繍の魚づくしの垂、
文政10年(1827)制作。市指定有形文化財(平成15年5月19日指定。)
下絵、原南嶺斎。繍師、縫屋幸助・塩谷熊吉。
全部で29匹、16種類の魚刺繍。
その刺繍を下の7~9枚の布に糸で止める作業をしているのだそうです。
7年に1度、9月に入るとその作業を1月掛けてやるのだそうです。

初代(縫屋幸助作)は10匹。傷み具合によって初代と次代(塩谷熊吉作)をその取り付けの時に使い分けているのだそうです。
これだけでも充分に価値のある一品です。
因みに下絵は行方不明だったそうですが、2005年イギリスのリバプール
で発見され、ロンドンのオークションに出されて所在が分かったのだそう
です
現在は、アメリカのマサチューセッツ州セイラムにあるPeabody Essex
Museumに買収され、修繕されているとのこと。
この様に長崎くんちは見かけ以上に文化的・芸術的にも評価されるべき
物が使われていると言えるのではないでしょうか?

  



奉納踊りと傘鉾の写真はネットで公開されているものを使用させて頂いて
います。
01:42 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0)
2013/09/22

踊り町と奉納踊り紹介  桶屋町

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桶屋町は栄町とは魚の町を挟んだ隣町、栄町と同じ様に電車通りを
跨ぐように区切られた6ブロックの町(厳密に言うと3ブロックが勝山町、
古町と分断された変則的な町)です。




 
桶屋町にある長崎警察署     その前はくんちの奉納踊りの場所                         
                     早くもやぐらが組まれていました  


車の分岐点えお挟んだ向こう側も桶屋町
 
長崎警察署の裏通り坂を登る   隣の古町との堺の通り、
と国道                 奥の坂を登ると国道
                                              
車通りを挟み上の写真の中島川側             

  
古い民家も残って街の古さを感じます
 

川向こうから見た光永寺
略ブロックの半分超を占める広大な敷地
第一回県議会の開催も頷けます。   両側のしだれ柳が風情を感じさせます。

    

10m程国道34号線から離れていますが、概ね国道から中島川迄
の細長い町でもあり、もう直ぐ壊される市民公会堂、おくんちの踊り場
の1つが電車通りを挟んで前に有ります。

町名の由来は名前の通り、桶職人が集まって発展した町で、
1606年には既にその形が出来ていたことが確認されています。

長崎の旧市街地域の多くの町は、栄町の元の3つ町と同様に
水運が利用できる中島川沿いに業者ごとに周りの地から集まって
形成されたようです。
今は埋め立てられて、随分上流になっていますが、出島が海に突き出して
いたころは、現在の中央橋の付近が河口だったことを考えると、新大工辺り
まで水運が使えたのではないかと想像できます。
私の幼い頃の記憶では、50年ほど前までは、現在の眼鏡橋?かお隣の
袋橋?に川舟が係留されて卓袱料理店だったのですから、そこまで川船が
入って来れたのです。

代表的な建物は長崎警察署、光永寺。



光永寺は福田諭吉留学時代の滞在地として有名ですし、
1879年(明治12年)第一回長崎県議会が開催された場所でもあります。


奉納踊りは、日本舞踊、鎖国時代の長崎、桶屋町に象が上陸したこと
に由来し、町内の子どもたちが象を引き連れて登場、からくり仕掛けの
象が乗っている傘鉾でも有名です。

振り付け指導されている藤間金彌師匠の門下生(藤栄会)6人と町内の
子どもたちが華麗な舞いをご披露する予定とのこと。
毎回奉納踊りの1番手を担当している桶屋町、今年も2013年の長崎くんち
の幕明けと言う大役を立派に果たしてくれることでしょう。


傘鉾は、1772年につくられた飾りが上に乗せて有り、先程触れたように、
当時桶屋町に上陸した象に因み、白い像の上に金色の宮殿がおかれ、
中に阿蘭陀人の鐘つきが居て踊りながら鐘をつく”からくり仕掛け”となって
いるそうで、この”からくり仕掛け”の白象の飾りが動くのも必見です。
垂は、昔は長崎刺繍の十二子が描かれていた立派なタレだったそうです
が、古くなって100年ぶりに新調された垂とのことで、繻子地に下部に花籠
模様を織出し、上部に三社紋刺の繍が施されて居るとのこと、この新調さ
れた傘鉾の垂も見ものです。


奉納踊りと傘鉾の写真はネットで公開されているものを使用させて頂いて
います。
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2013/09/16

長崎くんちの歴史と、長崎くんちの持つ意味と目次

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長崎くんちが始まったのは、寛永11年(1634年)




幕府より派遣されている長崎奉行より「諏訪祭礼」を行なう旨
御触れが出され、諏訪神社の初代青木宮司が、宝殿、拝殿を造営し、
神輿を造ったり、お旅所を大波止と定め、重陽の節句の9月7日から
9日迄の3日間で、しめ縄を引いたお旅所までお神輿で神様を渡御、
お旅所で御逗留、翌々日還御されるというお祭りの全体のルールを
定めて敢行したのが始まりだそうです。 
  















長崎の当時の総町(内町と外町合わせて64ヶ町)から渡御11町、
還御10町が選ばれた奉納、中日にお旅所で、音羽と高尾という芸者

が小舞を奉納したのが始まりで、以降奉納する各町が嗜好を凝らした
踊りを出すこととなった様です。奉納踊りの語源は此処から来ている
ようです。
  






見方を変えると、徳川幕府が奉行を市民に認知させるとともに、
幕府の権威を示す機会を作った
とも言えます。
又、市民の方も、貿易で得た利益が市民にも還元されていて、暮らし
も安定
していた上に、貿易で外国から得られる珍しいものを利用して
、色々な奉納踊りを編み出し、華美を競い合うことが、大きな楽しみ
になったのではないかと思われます。 







そして、これが長崎の豊かな文化を作り上げて来たと考えられます。

そう言う意味でも、長崎くんちは長崎には無くてはならないものだ
ったと考えるべきでしょう。




それでは、2013年の長崎くんちの
踊り町とその奉納踊り(含む傘鉾)をご紹介します。
更新の順序はバラバラですが、
ここでは奉納の順番でご紹介します。

便利なように、町名をクリックして頂くと、
その町のページにリンクしてご覧になれる様に
なっています。

1番 紺屋町    本踊り 傘鉾
2番 舟大工町  川船
3番 丸山町    本踊り
4番 本石灰町  御朱印船


番 栄町     阿蘭陀漫才
番 万屋町    鯨の潮吹き

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2013/08/26

2013年のおくんちの日記の、はじめに!

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2013年のおくんちも後40日、奉納踊りの当番町(踊り町)の練習もこの暑さの中で
佳境に入って来ています。

時折風に乗って、太鼓や鐘の音が微かに聞こえて来ます。
また夕方、散歩してると、踊り町のハッピを着込んだ若い衆の姿を見かけます。

一昨日会ったのは、今年の3つの山車もの(船大工町の川船、本石灰町の御朱印船、
万屋町の鯨の潮吹き)の中でも一番人気の鯨の潮吹きの根曳衆でした。
恰好良かったですね!
最近は他の町内や市外からも根曳衆を募集したりしているようです。
出会った若い衆も他の町内から万屋町の練習会場迄行く途中のようでした。

こんな感じで、残り40日と3日、先人の情報と僅かですが、私なりの情報を
収集し、
私なりの視点で取り纏めて、皆様にお伝えできればと思っています。



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日誌

長崎くんち2014
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